~キミ・ハ・ムテキ~

好きなものの好きな話

2017年、7月と、9月の話。雨音。

別にここで話す必要もないんだけど、まぁ、なんか、自分の中で人に話して消化するタイプの人間なので、でもこの話は会って友達に聞いてもらいたいわけでもないので、何気なくココに来た人に何気なく聞いてもらうだけ聞いてもらえたら、と思って書きます。

友達の暗い話をなんとなく酒を飲みながら聞いてやってる感覚で、暇つぶしに読んで下さい。

ジャニーズカテゴリなのに個人的な話かよ!と思われたらごめんなさい、後半に一応嵐の話もはさみますから(爆)

 

2017年の夏の、超個人的な、私の話です。

 

先日、星野源の公式Youtubeチャンネルが八億年ぶりくらいに更新されたんですけど*1、今年の9月に行われたライブの円盤宣伝として、一曲を先行公開したものでした。「雨音」という曲。たぶんみんな知らないよねぇ。「恋」のカップリング曲として入っていたやつです。House verつって源さんが1人で宅録で…って詳しい話は置いといて。
この曲はライブの前半、少ししっとりした曲が続くところで歌われた曲でした。一緒に参戦した友達は「超良質な音楽届けてくれるナイトクラブに来た感じ」と表現してました。超わかる。やっぱりこの人の歌声はときどきエロくなるよね、なんてそういう感想も一旦置いといて。

この、源さんのライブ、5月から追加公演含め約4ヶ月くらい続いたツアーでした。私は落選したのですが、友人が当ててくれたので7月22日の大阪城ホールに参戦することとなっていました。
前回のツアーはことごとく全滅だったので星野源のライブは初めてです。とても楽しみでした。そのために7月22日はしっかり予定を開けて。新幹線とか夜行バス予約して。
けど、行けなくなりました。大阪城ホール、行かなかったんです。

7月の初旬、母がくも膜下出血で手術をすることになったからです。
母がくも膜下になったのは二度目です。

昼間、めったに連絡など取り合わない兄たちから電話が来て、私は連絡が来たその日の夜行バスで急遽地元へ帰ることに。あちこちバラバラに住んでいる兄たちも翌日にとりあえず実家に帰る、とのことで。とても仲が悪いうちの家族が、12年ぶりに全員揃うことになりました。

 

私が夜行バスで地元へ向かう中、ちょうど母は手術の真っ最中でした。5月のGWにも夜行バスで帰省したのですが、あのときと全く違う状況にとにかく自分の気持ちが追いつかなくて、寝れませんでした。いつもならTwitter開いてうだうだするのに、なんにもやる気起きないしつまんなく感じるしウォークマンもとにかくなんか辛いし。だって5月のあのときは夜行バスを降りたら母が迎えに来てくれてたのに。

夜行バスの中でいろいろ思い出しました。

母が一度目のくも膜下出血で倒れたのは、15年前、私が小2のときでした。あの日の夜は今でも覚えています。母はいつも夜10時まで働いていて、帰ってくるのは23時過ぎ。父と2人で夕飯を食べるのが当たり前の毎日。その日はシチューでした。いつものように父親と夕飯を食べてたら、家の電話が鳴りました。父に連れられて近くの病院に向いました。母がになにかあったということだけしかわかりませんでした。
私の地元は小さい町ですが、病院にはかろうじて救急があり、そこに搬送されたようで、そこに向いました。一瞬ちらりと手術室、のような場所の中がみえたことを覚えてます。両親とよく観ていたドラマのような世界が見えました。それから母には会えなくなりました。
母の手術は隣町の大きい総合病院でやったらしいです、無事成功して、入院。母が倒れた日から毎日毎日、父がカレンダーに×を入れて、日にちを数えていた、と思います。
どのくらいたったのかわかりませんが、しばらく経ってから、よく父にお見舞いに行かないかと誘われるようになりました。でも私は嫌だと言って行きませんでした。自分でもなぜ行きたくなかったのかわかりませんが、とにかく小2のあのときの私は「脳の中の血管が切れた」「脳をあけて手術をした」という話をきいて、”その手術をした母親”に会うのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。とにかく怖かった。のちのち母に「あのとき、寂しかった」と言われました。
しぶしぶ、一度だけ、父に説得され、入院してだいぶ経った頃に行ったことはありました。そのころには頭に大きな何かを巻いてはいましたが自分の知ってるお母さんがそこにいたのでとても嬉しかったし怖くなかったことも覚えてます。
それから少し経って、小学校からの帰り道、当時は不審者の誘拐などが多い頃でもあり過保護な父は私を車で送り迎えしてくれていたのですが、突然車の中で「お母さんに会いたい?」と言ってきました。母に会いにいけるのは日曜日だけですし、平日の夕方、会えるわけもないのに、父はいきなり何を言っているんだ?と思いつつなぜか直感で、「あ、今日、お母さん、帰ってきてる」となにかピンと来ました。実際家に帰ると、母が待っていました。その日は一時退院の日だったみたいです。両親はサプライズをしたかったみたいですが、私はなにか確信していたのでまったく驚かなかったです。不思議。

くも膜下出血は、30%の人は治療により後遺症なく社会復帰、約50%は初回の出血で死亡するか病院にきても治療対象とならず、残り20%では後遺障害を残すと言われているようです。母はそのとき1ヶ月弱で退院、一切の後遺症なく社会復帰を果たしました。奇跡だと言われました。正直、ピンときませんでした。

 

あの小さい頃の記憶を思い出しても、今この瞬間はまったく役に立たず。あのとき母の面倒をみた父は、10年前に脳梗塞で倒れてから半身不随なので、兄妹4人、手探りで、なんとかしなければならなくなりました。

手術は成功、ですが2週間はなんとも言えない。命は助かったけど、これから先にどんな後遺症が残って、どんな合併症を発症するかはこれからの経過次第。治療方法はこれしかない。担当の先生から色々聞かさせることは、当時おそらく父だけが聞かされていたことで、兄と私はただただ困惑でした。血縁者だけが入れる病棟で、1日30分しか会えない。今回入院した病院はやっぱり隣町のおっきい病院で、交通手段を持たない私はなにもできなくて。

3日間、父も母もいない誰もいない実家でひとりただただ何も出来なくて、何もすることもなく過ごし、地元に帰ってきても友人に会うことだって出来ない、なにもすることができない、苦しい3日間。実家の良さって、親がいて、ご飯勝手に出てきて、話し相手がいて、落ち着くことができて、とか色々あるんだけどそれが皆無の場所だった。普通に昨日まで母親が生活してた痕跡があるだけ。それの片付けとかするのも辛い。この今実家に帰ってきてる間、母が入院している、だから、家のことを出来る人間がいない、じゃあ私は最低限なにを準備して東京に戻ればいいのか。でも実家を出て約3年、18歳で実家を出た私は、本当に最低限すぎるほど最低限のことしか知らなくて、兄たちはもっと知らなかった。ほんっっとうになにも出来ない3日を過ごしました。いつもならぐっすり眠れる実家の布団も、全然寝れなくて、でも、なにもすることがない、なにもできない。

運転免許も、援助するお金も、なにもない私は実家にいても無意味。兄たちにはもしこれから母になにかあっても、お前は無理して地元に帰ってこなくてもいい、と言われました。 

兄妹で色々話し合う中で、病気のことだけじゃなくって、家族みんなで後回しにしてきたいろんな「うちの家庭の問題」がたくさん出てきてもうほんっとなんなんだか、うちは、とことんグチャグチャな家族だなぁと思った。まずお互いがどんな仕事してどんな生活してるか把握してないから、うちの場合。

 

結局、金曜夜に東京に帰ることを決めました。実家に住んでいる兄と、もう少し東京に帰るのを先延ばしにした兄、隣町に住む義理の姉にほんとうに最低限自分のした準備やらなにやらを伝え、私は東京に戻りました。

頑なに土曜に東京に帰ろうとすることを不思議がられました。

実は、その土日は、嵐のワクワク学校があったんです。
今、こんな母親の一大事に「嵐」かよ!!うわ!!最低だな!!って思った人、いたでしょ。ええ、どうぞ思ってください。そうだよ、こんなときに嵐だよ!!!でも私にとってはこんなときだからこそ嵐なんだよ!!!!
前にこのブログで書いたんですけど、私、今年2017年、嵐のワクワク学校がやっと最初の自担に会えるチャンスだったんです。一応同行の友人たちには私がいけなくなる可能性があるからそのときはチケットをよろしく頼むということは伝えてましたよ、でもね、やっぱり行きたいと思った。なんかもう心と身体がしっちゃかめっちゃかで3日間寝れなくて精神ぼろっぼろで、あぁ、私、これで嵐に会えなかったらダメになるなって思ったんです。ふん、好きに罵ってくれ、私にとっての嵐は精神安定剤なんだ!!!!
母が倒れてからテレビを見たって動画観たってTwitterみたって楽しくないし苦しいし!!!精神安定剤もらえる権利(というなのワクワク学校チケット)あるなら!!行きたいじゃん!!!まぁ、なんとか無事に、ワクワク学校には行けました。たしか終わって飲みに行ったときに母親の現状とかなんやかんやせっかく明るい場なのに友達に聞いてもらった気がする。ここ読んでるかわからないけど聞いてくれたあのときのみなさん。ありがとう。嵐に会えて、笑って、友だちに会って、笑って、すんごおおおおおおおおおく心が楽になりました。

そしてその3日間で、22日の源さんのライブをキャンセルして、その日を使ってまた実家に帰ることを決めました。そこ、源さんはキャンセルするんだ、って思ったでしょ。えぇ、しましたよ。無理だもん。お金的にもね。色々無理だったあんときは。悪いけど、源さん大好きだけど、どうしてもよぎるんだよ、源さん観てると、くも膜下出血のことがさ。

 

22日、母に会いに行ったら、元気そうにしてました。目立った後遺症なく。気持ちがとっても楽になりました。2回も奇跡をくれるなんて、神様、結構優しいね。秋に母は無事に、退院しました。母の入院中、何気なく、なにか愚痴を言いたいときに電話していた実家に電話できないことがちょっとさみしかったです。

そんな中、9月には追加公演、さいたまスーパーアリーナが発表されてて、応募しました。もうワンチャンス、ください。やっぱり源さんにも会いたい。

8月のお盆は、実家には帰りませんでした。わかんない、お金ないとか色々理由つけたけど、なんか、また、怖くなったんですよねぇ。わかんないけど。私、逃げる癖があるんです、いろんな現実から。退院してから、母からの電話も、私からの電話も減りました。電話越しにあれやらこれやら私が厳しく言うからだと思います。あと母は、自分が倒れて家族に迷惑をかけたという負い目があるようで。皮肉なもんですね。定期的に私が電話すると、最近は、いろいろ実家の方で環境が変わっていたりして驚くことがあります。なにかと隠したがるんですよね、母が。親子して現実から逃げる癖がすごい。

 

9月10日、「Continues」追加公演さいたまスーパーアリーナ、ツアー千秋楽の日。私の名義が当選しました。行けなかった大阪。さっき色々書いたけど、やっぱり行きたかったよ大阪。よかった、埼玉、当たってよかった。私にとってのツアー初日は、ツアーの千秋楽でした。神様は、もうちょっとだけ優しくて、その日、初めての源さんのライブ、アリーナの真ん中ブロックのこれまたど真ん中、14列というご褒美をくれました。源さんがずーっと私の真正面で歌ってました。あれさ、正面だとマジでヤバイから。源さんってたまに「あなた」とか歌詞が出てきたときに手を前に差し伸べたりするでしょ?あれが全部自分に向けられてる気分になるからね(爆)
ずっと目とかあってると錯覚する(爆)
キュンキュンしっぱなしですよ(爆)
後ろはカメラで、だから友達といっぱい両手上げて飛び跳ねました。その後ろのカメラが撮ってる映像が円盤になるときに収録されるのかなぁなんてぼんやり思ってました。

ワクワクのときも、源さんのたまアリも、途中でぼんやり、母のこととか思い出すことがあったりしたんです。あぁ、なんか、自分こうやってあれこれあったのにヘラヘラ笑ってていいのかなぁって。でも地元に残って辛気臭い顔で黙ってたって母親が完治するわけでもないし、相変わらず私のやれること無いし。仕事してても考えちゃうから。逃げたかったし忘れたかったから。だから、東京ドームも行ったし、たまアリにも行った。でも、やっぱり大好きなこのライブという場所でも思い出しちゃう。なんか、ふと溜息とかついちゃって。溜息ついたらなにかが解決するわけでもないのに。
とにかくライブというものが大好きでライブを純粋に楽しみたい私にはちょっとだけ辛かった。ライブは現実を思い出す場所じゃなくて完全に忘れる場所でありたいんですよね。

源さんは、最初のくも膜下出血になったあとに、治って、でもまた再発が見つかって、すぐ2回目の治療に入ったわけだけど、もし、源さんみたいにちゃんと定期検診してみてもらってたら、うちの母は15年後にまた手術することはなかったかもしれない。10年後の再発は80%以上だってなんかで読んだ。あれ以来母には口をすっぱくして身体を労れと言っているんですけどすっごいめんどくさそうに「わかってるって」って言われる!わかってねぇな!そういうとこだよ!もう!

源さんの本、蘇る変態を読むと苦しくなるので、あまり読まないようにしています。患った当人の苦しみ、絶対わからないけど、苦しい。痛みと孤独に戦うのは、どんなに祈ったって願ったって代わってやりたいと思っても、患ったその人。そういえば父親はあのころ「代わってやりたい」とよく言っていた気がする。でも、周りも結構苦しいよ。とっても。何も出来ないことが、なによりも苦しいんだよ。たまに星野源ファンの古参がいう、あのときの話。今のファンは知らないだろうって。知るべきだけど、いいじゃないの、知らなくて。知らないことも幸せなのかもしれない。だって、大切なその人が生死を彷徨って、何も出来ないけど祈ってって、すっごい苦しいし体力いるし。
そういえば、でも、あの15年前を、私は苦しい日々としては覚えてない。怖さは覚えてるけど。きっと苦しい気持ちは父親が全部持ってってくれてたんだろうね。

今、こうして星野源という人が本当に元気にただ生きていることが嬉しいよね、出会えてよかった。幸せだね、とっても幸せ。

 

www.youtube.com

55秒くらいからのアングルが、まさに私の真後ろで撮られていたものなので、あのとき自分が観ていた景色とまったくおんなじすぎて泣きそうになるよ~~~ほんと良い席だったなぁ。全部思い出す。この10日の日に、まぁ、色々あったけど、ああ、よかったな、全部悪い結果にならずに過ぎていって、よかったなって思いました。この3日後にあったPerfumeFES!!では、母のこと、忘れて楽しんでました。なんか、たぶんContinuesでまるっと源さんにこの夏のこと吸い取られたのかもしれない。だからこの映像を見るとぶわーっと思い出すんですよね、夏のこと。SONGSスペシャルのときは思い出さなかったんだけど。この歌は、すっごい記憶がよみがえってくる。なんでだろう。思い出しちゃったから、だから、この記事を書きました。

 

7月22日、ちょっぴり元気になった母のお見舞いに行った時、びっくりするくらいの豪雨で大変だった。その前の日までめちゃくちゃ晴れてたのにねって話してたなぁ。東京に帰ろうとする頃には、雨止んでました。傘もなかったから大変だったよぉ。

年明け、正月おわったら、夏ぶりに実家に帰ります。お母さんとお風呂やさん行こうかな。それか映画観に行こうかな。何があってもまた次の日の朝は来るし、なんやかんや、2017年終わりそうだし。来年はきっと良い年になるかなぁ、まだもう少し神様優しくしてほしいなぁ。

 

「雨音」めちゃ良い歌だから、よかったら聞いてって~。


「雨音(House ver.)」

乾いた雨の中に紛れた 思い出たちの音がする
塞いだ耳の中に響いた 歌に振り向いて
道の先に 何があるか
知らないままでも 朝は来る

窓から光る 明日の予告
未来はそこまで来てるから
あと少しだけ 雨の音を聴く
鼻先濡れる

乾いた雨の中に紛れた 声に驚いて
道の先は 道があるさ
またかと呆れて 春が来る

窓から光る 明日の予告
未来はそこまで来てるから
あと少しだけ 雨の音を聴く
鼻先濡れる

傘を差したら
倍に刻むリズムを

窓から光る 次回の予告
明日はそこまで 来てるから
あと少しだけ 雨の歌を聴く
鼻先濡れる

花咲き濡れる

 

 

もはや 壮大なステマだよねこれ(爆)

 

*1:本当は4ヶ月ぶり